この夜、キラは珍しく独りで夜更けの道を歩いている。


右手には大きめの徳利(とっくり)。


左手にはお猪口(おちょこ)。


いずれも、古くから使われている年代物の陶器。


しかし、これらはキラには到底似合わない代物ではあるが……、


『今夜は特別だからね』


キラはうっすらと笑みを浮かべながら、月明かりに照らされた夜道を歩いていく。


キラの足が止まったのは、一本だけ花咲かす大きな桜の木の下だった。


「よっこいしょ」


キラは桜の木の根元に腰を下ろすと、持ってきたお猪口に徳利の中に入れてきた酒を静かに注ぐ。


そして、満開の桜を見上げながら少しだけ酒を口に含む。


「美味しい……」


ぽつりと漏らし、もう一口。


口の中にほんのりと広がる香りと、味雷を優しく刺激する甘みと僅かな辛味。


『日本酒って、本当は美味しいんだ……』


そう思いながら、三口・四口。


五口目を口に含もうとしたが、既にお猪口の酒はなくなっていた。


『本に書いてあったことは本当だったんだ……』


キラは空のお猪口に、なみなみと酒を注ぎ、今度はぐいっと一飲み。


身体の中で熱が生じ、一気に全身が火照る。


それでも季節はまだまだ夜風が冷たい。


冷たい夜風が程よくキラの身体を冷まし、ほどよい酩酊がキラを包む。


『お酒って、こうやって飲むもの……?』


もう一度、お猪口に酒を注ごうとしたが、キラはぴたりと手を止める。


背後に人の…、それも自分の全てである人の気配を感じたからだ。


だが、キラは振り返らず桜を眺めながら訊ねる。


「どうしたの、ラクス?」


「それはこちらの台詞ですわ」


返ってきた声は僅かながら怒気を含んでいる。


「こんな夜更けに、それも独りでこんな所で何をなさっているのですか?」


「何って? 桜を見ながらお酒を飲んでいるんだよ」


「それは見れば分かり……」


「それよりも、こっちに来たら」


キラは桜を眺めながらラクスの言葉を遮った。


「今日の桜、本当に綺麗なんだから」


「………」


ラクスは複雑な心境である。


一緒に生活するようになってから、今宵の様にキラがラクスに黙って家を出るなんて事は一度もなかった。


しかも、あまり酒が飲めないキラが酒を飲んでいる。それも自分から進んで。


どういう風の吹き回し? と思いながらも、ラクスはキラの言われたとおりに桜の木の下へと歩む。


そしてキラの傍に立ち、座ると柔らかな瞳を尖らせキラを睨む。


「キラ。これはどういう事か説明してください」


「説明? 何の??」


「とぼけないでください」


ラクスは角のある言葉でキラに問い返す。


「一体、どういう心情でこのような事をなさっているのですか」


「どういう心情って言われても……」


キラは相変わらず桜を見上げながら、僅かに入れることが出来たお猪口の酒をくいっと飲み、丸みのある言葉で返す。


「ボクはただ、本に書かれていた事が本当か試してただけだよ」


「本? 一体、何の……??」


「本にはこう書いてあったんだ」


キラはようやくラクスの方を向き、持っているお猪口をラクスに差し出す。


「『春は桜。夏は星。秋は月。そして冬は雪。これらを肴にして飲むお酒は至極の物』ってね」


「は…、はい……」


ラクスは無意識に差し出されているお猪口を受け取ってしまい、まるで詩人の様に言葉を紡ぐキラに魅入る。


酔いが回っているのか? キラの顔は既に桜色に染まっている。


それでも、ラクスの耳に届く言葉にはしっかりとキラの意識が込められている。


「そして、こうも書いてあった。『お酒を飲むのにこれ以上の肴はない。もしも、それで美味しく思えなければ、それは心が疲れている』ってね」


キラは受け取らせたお猪口にゆっくりと酒を注ぐ。


その時、一枚の桜の花びらがひらひらと注がれた酒の上へ舞い降りた。


「これが本当の桜酒だね」


キラはにっこりと微笑み、無言で飲むように促す。


それを汲み取ったラクスは、そっとお猪口に唇を当てくくっと一気に飲み干した。


「どう? 美味しいでしょ♪」


キラは当然、最高の笑顔での最高の返事を信じて疑わなかった。


ところが……


「存外…、美味しいものではございませんわ……」


返ってきた返事も、見せた表情もキラの期待とは真逆のものだった。


一瞬にしてキラを包んでいた酩酊が消し飛び、どうしようもない不安が包み込んだ。


「わたくし、心が病んでいますわね」


「ラ、ラクス…、ボ、ボク…、そんなつもりで……」


「分かっていませんわね、キラ……」


ラクスは不機嫌な顔のまま、キラが持っている徳利を取り上げ、持っているお猪口に乱暴に注ぐと、これまた乱暴に飲み干したが、


「わたくしにとって、この世で一番甘美なお酒は……」


次にキラへと向けたラクスの顔は、さながら桜の精霊のような清楚で可憐なものだった。


「キラ。あなたと一緒に飲むお酒ですわ」


「……、えっ???」


キラは、あまりに急激なラクスの変化に全くついていけていない。


対してラクスは、そんなキラにぴったりと寄り添い、甘くとろける声で囁く。


「どれだけ素敵な景色であろうと、どれだけ美味しい珍味であろうと、あなたなしでは酔う事は出来ませんわ♪」


「ラクス…、もう酔っちゃったの……?」


「わたくしが、これしきのお酒で酔うと思いまして? それより……」


すると、今度はラクスがキラに無理やりお猪口を持たせ、なみなみと酒を注いだ。


「さあ、飲み比べてくださいな」


「飲み比べる…、って……?」


「この桜と、わたくし。どちらがキラを満足させられるかです…、わっ!」


にっこりと微笑むラクス。しかしながら、声は少しも笑っていない。


『結局、こうなるのか……』


キラは心の中で溜息を一つ。


ラクスがいる以上、独り静かに酔う事は出来やしない。


それでも、キラはしっかりとラクスを見据えながら一気に酒を飲み干し、堂々と答えた。














「ラクスに決まってるじゃない♪」




















《あとがき》
5月は母の日。カリダさんが主役を張る日です(笑)

今年はキラとカリダさんとの思い出(?)話にしてみました。
キラがラクスに惚れた理由のひとつは、間違いなくカリダさんの影響があると思います!(力説)
なので、こういう話にしてみましたw
まあ、今年はゲストで凸さんの名前出しましたが、扱い方は何ら変わりなくでw

みなさ〜ん。母の日ぐらいはちゃんとオカンに感謝せぇよ〜〜♪




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